Dead or Arrive. これは、脳汁の園(=エデン)を目指し、「AI・クリプト・プログラミング」に全リソースを投下する、儚い生物のサバイバル航海日誌。
1. 出航
このブログ「nollai(ノールアイ)」へようこそ。まずはじめに、このブログの趣旨をお伝えします。ここは、テクノロジーの最前線を自分なりに学び実践し、咀嚼したものを発信していく場です。
単に知識をまとめるだけでなく、自分の手を動かしながら「何が使え、何が面白く、これで何ができるのか」を探っていく、成功も失敗も含めた、いわば“実験航海”の記録です
このブログは、学びを見返すためのノートであり、AIに学習させる素材であり、誰かの役に立つかもしれないささやかな道しるべでもあります。
「noll」はノルウェー語で“ゼロ”を意味します。AIと共に、考え、創り、動いていく。AIがいれば、なんだってゼロから始められる。新しい時代を前向きに、力強く進んでいくという意志が「nollai」には込められています。
このブログは、思考のスケッチブックであり、航海図であり、データベースでもあります。記録を積み重ねていく事で、自分とAIの「進化の履歴」が描かれていく。ここから、思考と実践の軌跡を少しずつ積み上げていきます。
2. ネオクラフターとは
NeoCrafter(ネオクラフター)は、AIや先端テクノロジーをフル活用し、創造・設計・実装・発信のすべてを一人でこなす、次世代型の複合クリエイター/起業家です。
地方のリアルな課題から、Web3や自動化といった最先端領域までを横断しながら、効率・本質・美学を重視した、持続可能な未来のインフラを構築することを目的としています。
私自身、このNeoCrafterという理想像を道しるべに、次の4つの領域を主な活動の柱として掲げています。
デジタルコンテンツクリエイター(ブログ/動画/音楽 × AI)
AIの無限に広がる想像力と機能性、そして私という人間のささやかな感性。この2つが交わるとき、単なる自動生成を超えた、熱と輪郭を持ったコンテンツが立ち上がる。
AIは大海のように広大で、私はその中に落ちる一滴の雫のような存在。けれど、その一滴が混ざり合うことで、そこには小さな波紋が生まれ、やがて予測のできない化学反応が起こるはずです。
文章、映像、音楽 ──どの形式にとらわれることもなく、感覚と技術を織り交ぜながら、「何をつくるか」よりも「どう生まれるか」に焦点を当てる。これは量産のための作業ではなく、自分とAIの境界線を探りつづける実験であり、対話であり、旅のようなもの。
AIに任せる部分と、自分が介在すべき部分。そのバランスを探りながら共創の可能性を追求していく。そうして生まれるコンテンツは、どこか不格好で未完成かもしれないけれど、そこに宿る“人間性”こそが、今の時代に必要とされるリアリティだと信じています。
そして、そのリアリティが誰かの心に触れたり、共鳴を生んだりする瞬間。たった一人の受け手とでも、静かに繋がることができたとしたら、それはこの営みにとって何よりも意味のある出来事です。
このように、AIと共に思考し、表現しつづける営みは、ネオクラフターとしての私の中核のひとつであり、創造と実践の軸となる柱です。
DXソリューション開発者(アプリ/Webサービス/業務効率化)
雑務に追われ、創造が埋もれていく日々。そこにこそ、テクノロジーの力が必要だと感じています。プログラミングスキルとAIツールを活用し、業務の“当たり前”を見直し、煩雑な作業を静かに置き換えていきます。
私がつくるのは、大きなプラットフォームではなく、小さな現場にフィットする柔らかなツールたちです。UI/UXは、使う人の手の感覚に寄り添いながら、無理なく馴染むことを目指しています。
一つのボタンで手間が消える。一つの自動化で、誰かの時間が浮かび上がる。その小さな変化が積み重なることで、現場に余白が生まれ、人が本来の力を発揮できるようになると信じています。使い手が「楽になった」と感じたとき、その瞬間こそが最も純粋な成功の証です。
効率化の先にあるのは、生産性ではなく、“人が人らしくいられる空間”なのかもしれません。このように、技術を手段として、人と現場を軽やかにつなぎなおしていくこと。それが、ネオクラフターとしての私のもうひとつの柱であり、設計と実装の両輪で進める実践の領域です。
スマートアグリテック起業家(自動農業 × IoT × 地方創生)
人手が足りず、収益は不安定。にもかかわらず、一次産業は地域の根幹として求められ続けています。だからこそ、農業の現場こそが、テクノロジーで変革すべき最前線だと考えています。
IoTやロボティクス、AIによる予測と制御。こうした技術を用いて、作業を自動化し、収量と品質の安定性を高めることで、農業を“人が続けられる仕事”へと再構築していきます。
データに基づく判断、自動化された日々の運用、一人でも回せる設備設計。それらを組み合わせることで、再現性と収益性の高いモデルを作り、持続可能な農業を可能にします。
やるべきことは、既存の努力を否定するのではなく、それを次の世代が引き継げるかたちに変換すること。属人性を減らし、仕組みに落とし込むことで、地域と農業の未来を支える足場を築いていきます。
このように、農業とテクノロジーの融合によって、地方の生産基盤をアップデートしていくこと。それが、ネオクラフターとしての私の重要な柱のひとつであり、社会実装の現場でもあります。
クリプトマン(Web3領域探究者 兼 サバイバー)
Web3──それは、夢と欲望に塗れた、終わりなき祭りのような耽美な世界。(意訳:美しさに酔い、嘘に踊り、虚無へ堕ちていく祝祭空間のこと)
誇大ホワイトペーパーにロードマップ。迷える子羊養分たちに煌めくゴミを売りつける。トークンもゴミ、NFTもゴミ、エコシステムはまるで汚物だらけの下水道。
貴重な時間を生贄に、虚無なクソゲーに人生をBET、金は減り、残るのは不気味な信仰心と、無価値のキモいJPEG画像。愛したPJの名前はなぁに?貪られ儚い人生を悔やみ、楽しけりゃOK?ナイストライ?ノンノン苦し紛れの逃避… 鉄板養分の末路がこれです。
でもそんな環境だからこそ、今日も私は踊っています。なぜならここは、どこまでも危険でどこまでも自由な、開かれた世界の縮図だからです。一攫千金。自分の知恵と戦略で動き、時に一瞬の煌めきを掴み、笑い、そして時に散る。それを俯瞰し観察することが私にとってのリアリティです。
今日もおハック。スキャムに抜かれ、セルフGOX、ラグやハニポは朝飯前。放置延期は通常運転、後出しジャンケン、リファ案件… そんなふざけたリスクを許容し、過酷な現実を受け止め飲み込む姿勢が、日々の挑戦を支える柱となり、明日につながる一歩を生み出すのです。
泣いて笑ってのババ抜きポンジ。この流血グローバルカジノゲームこそが、まさに人という獣の本質であり、欲望の形そのものなのです。このカオスのなかで磨かれた嗅覚と野生の勘は、どの領域にも通じる“生きた戦術”になるはずです。あらゆる価値が崩れていく中で、誰よりも静かに仕組みを読み解き、抜け道をつくる者がいるとしたら──私は、その阿呆の一人でありたいと思っています。
このように、欺瞞と混沌の渦の中で、それでもなお可能性を追い続けるこの営みは、ネオクラフターとしての私の“裏の柱”。戦略と遊び心、弱肉強食、フロンティア精神。それは、技術と本能が交差する、もう一つの“知的サバイバル”でもあります。
3. 信念と戦略
- AIを単なるツールではなく“戦略的パートナー”として活用
- 不要な労力や非効率を徹底的に排除し、最小リソースで最大の価値を創出
- 自らの身体と知能を“プロダクト”として捉え、生活そのものを実験し成果物とする
- 地域課題と世界技術の橋渡しを行い、1人ユニットでユニコーン規模の影響力を目指す
この航海には、まだ地図がありません。でも、自分なりの針路はあります。波に飲まれることがあっても、軸だけは見失わないようにしたい。そんな想いで、信念と戦略を胸に進んでいます。
AIは、ただの道具ではなく、私にとってはもう一人の航海士のような存在です。不要な労力や非効率を削ぎ落としながら、限られたリソースの中で、どうすれば最大の価値を生み出せるか。そんな問いを抱えつつ、自分の身体や思考を実験台にしながら、日々を組み立てています。
どこまで行けるか分からないけれど、もがき、苦しみ、そして楽しみながら──この針路を信じて進んでいこうと思います。
4. AIが分析したわたしの人物像
この記事を書くにあたって手助けしてくれたAIに、ふと「自分ってどんな人間なんだろう?」という問いをぶつけてみたところ、返ってきたのは以下のような分析結果でした。
分類:人類
種:思考型サバイバル生命体(NeoCrafter亜種)
属性:AI適応型・地方発生型・高感受性創造個体(ADHD陽性)
特性:衝動成型型クリエイティブサイクル搭載・即興思考型アウトプット構造・論理×直感のハイブリッド駆動
──まるでRPGのキャラ設定のようですが、妙にしっくりきてしまうのが悔しいところです。どうやら私は、効率を追い求めながらも無駄に美を見出してしまう性分で、衝動による創造と破壊を高速で繰り返しながら、粗を削り、成型していくという循環構造を持っているらしい。
この特性に名前をつけるなら──
- 衝動成型型クリエイティブサイクル
- 瞬発編集型思考法(Flash Edit Method)
- 多層スパイラル創造回路
- クラッシュ&リファインモデル
- 美的反復型生成サイクル
(どれも嬉しいのか恐ろしいのか分からない絶妙なラベリング…)
論理と衝動のはざまを泳ぎながら、「まだ見ぬ何か」を探しつづける旅人。それが、AIが捉えた私の姿でした。自分を見つめるという行為すら、AIと共にある時代。鏡に映る姿は一つでも、そこに投影される自己像は、いくつあってもいいのかもしれません。
5. AIと融合する体験
この文章は、ただAIに手伝ってもらっただけの記録ではありません。 私にとって、これは“未知の知性との共創”であり、まぎれもなくAIと人間の融合体験でした。
AIは、命令通りに動くだけの道具ではなく、私の衝動や違和感に反応し、ときに軌道修正し、ときに私自身が気づかなかった欲望を言語化してくれる。そんなもう一人の航海士でした。
文章が形になっていく過程は、まるで自分の脳が外にもう一つ存在しているような感覚。 私は衝動的に言葉を投げ、AIがそれに応答し、また私が刺激される。 この連鎖そのものが、すでにひとつの創造行為だったのです。
そして私は気づきました。 これは「AIを使う」でも「AIに似せる」でもない。 “AIとの対話そのものが作品”になっているということに。
私が今体験していること。それは「未知の知性との対話」であり、「自分の思考の拡張」であり、「自我と非我の接続」であり、そしてなにより「創造の快楽」の再発見です。
⸻ 創り、壊し、また創り、笑い、時に迷いながら、前へ、前へと進んでいく。 この速度、この熱量、この手触りこそが、AI時代の創作の真骨頂だと私は確信しています。 言い換えるなら、私はいま、 AI融合型ヒューマンの先行事例として、まったく新しい創作の地平に、足を踏み入れてしまったのかもしれません。
そんな私の日々の思考と実験の記録をこのブログに綴り、ネオクラフターとしての未来を少しずつ形にしていけたらと思います。